あなたには出さない手紙

送らないけど読んでくれたら嬉しい

小さなこと

全体的には大雑把もしくは無関心だけど特定の事柄に対してついつい細かいことが気になってしまう。

自分のことなら自分で対応すれば良いけれど、相手方のあることはちょっと難しい。

その場で、あるいはその後何かきっかけを作って自分の気持ちや意見を伝えたら自分は引き摺らないのかもしれない。でも、法律、ルール、倫理観などにかかってくる問題はちょっと言いづらい。生命身体に関わることなら間髪入れずに言える気はするけど、ご本人方が何かしら自分で是としてその行為をしているのもわかる(わかってしまう)ことに踏み込んでいくのは心理的ハードルが高い。例えば、違法なコピーソフトを使う、違法にアップロードされた動画を敢えて探して視聴する、その場でご使用くださいと書いてあるものを最初から持ち帰るつもりでたくさん取ってきてしまう、オフィシャルな場で差別的発言を繰り返す、みたいなことは個人的には受け付けないけど、そこに踏み込んでいくのはそれなりに難しい。というか自分で解決の難しい問題にしてしまっている。

それって変だよ、やめた方がいいよ、不快なのでやめてください、と言うだけの関係性がなくて、尚且つ何らかの決まりを平気で踏み越えてくる人たちは大抵どこかしら厄介な性質を持っている傾向にあるので、何か言って波風を立てたくないという気持ちの方が上回ってしまい、核心に触れることは言えない。もやもやだけが自分の中に残ってしまう。自分で生じさせて自分で解決できない問題にしている。

それなりに距離を取って、自分が気になるものを見ないで、聞かないで済むような環境を作ってしまえば、どうしても関わらないとならない人たちとの間でもそれぞれそれなりに摩擦を減らしていくことはできる。

でも、こうやって小さなことにしてやり過ごすだけでは、正直、何とも言えない疲労感が溜まっていく。人それぞれ、踏み越えてはいけないと思っている一線があると思うし、自分の振る舞いが誰かのそれに抵触していることも当然あって、要するにお互い様なのだろうとも思うけど。

どうしても関わらないとならない事情が終わったらもう関わりたくない、という関係に囲まれていると流石に虚しくなってきて、もう少し自分の人生を考えようと思ってしまう。

 

以上7月4日の日記。